あ焦がれ

先日職場の先輩に「はぐちさん」という漫画を借りて、まぁそれが良くて!はぐちさんという謎の丸っこい生き物が家に急に来て、家事はやってくれるわ疲れたら癒しの一言をかけてくれるわ、時に真理を突いたりする内容の4コマ漫画なのですが、先輩に返す時に

 

先輩「家にはぐちさんが居ればいいのに」

私「はぐちさんみたいになりたい」

↑同時

二人「そっち!?」

 

考えてみれば、そりゃ謎の丸っこい生き物が家事してくれる方がいいに決まってるんですけど、私の気持ちもまた正直なところで、前に憧れたのもオバQだったなと。よく食べてよく喋ってよく寝て、それで許される愛嬌。最強。どうやら最近の私は人ならざるものに憧れる傾向にあるようです。

 

と思いながら、ふと、「私の憧れ歴史」を辿ってみようかと。「ちょっといいな」ではなく「マジでなりたい」に絞って。と考え始めたその日に読んでいた「コンプレックス文化論」にて、遅刻コンプレックスの人としてイラストレーター/ソラミミスト安斎肇が登場。これやん。

 

大学生の頃、何のきっかけだったかすごく好きになり、サイン入りポストカードも持っている。あの喋るとみんな笑っちゃう空気に憧れた。同時になりたがっていたのはなぎら健壱。憧れの人がオバQ安斎肇なぎら健壱と並べば、もう私はただの許されたい人。どうしたの私。昔は菅野美穂になりたかったはずじゃん。

 

そう、私にも菅野美穂の顔になりたすぎて眠れぬ夜があったはずなの。菊地亜紀子にもなりたかったし、蒼井優にもなりたかった。

この芸能人への憧れに終止符が打たれた瞬間ははっきり覚えていて、蒼井優のゆるふわワンレンロングに憧れて真似したら幽☆遊☆白書の戸愚呂(兄)になってしまい自分に失望したあの日。蒼井優になるには私の顔はパンチが効き過ぎている。

今も雑誌を見てモデルさんの服や髪を真似したりはするけど、「なりたすぎて眠れない」夜はなくなった。昔は整形して鼻を高くしたいと思った事もあったけれど、今はある分でやっていくしかないとと思ってます。

 

「私の憧れ」を思う上ではずせないのは、20代前半に抱いていた雑誌編集者という職業への憧れ。憧れすぎて毎日吐きそうでした。特に大学卒業間際~上京してからの「何者にもなれねぇ」辛さはとっても体に毒だったと思う。気持ちばかりが焦り、走り、空回った。OTOTOYで編集兼ライターとして働き出して、何とか終わらせられたように思う。貧乏すぎて「何が憧れや!!!」てPCぶん投げたくなったけど。投げないけど。貧乏だから。※拾ってくれたE田さんにはとても感謝しています。

 

行動と縁と運が、ボロボロだった憧れの季節を終わらせてくれた。でも、憧れの季節が始まらなかったら、もしも私に憧れる能力がなかったならば、どんだけつまらない今になっていた事か。今周りにいてくれている人の半数には会ってない気がします。終わってなくても、始まってなくても、恐ろしい未来。始まって終わった今の私はラッキーだし幸せ。

 

多いのか少ないのか、ざっとこんな所です。年齢と経験を重ねるにつれ、憑き物が落ちていったように憧れを手放していったように思えます。なので改めて考える事も減ったけども、私にとって憧れは「魔法」だったし「魔物」でもあった事をちょっと思い出せました。苦しかったし楽しかった。

 

話を冒頭に戻すと、はぐちさんに関しては「こういう風に人が抱えている重い物を、ひゅっと軽くしてあげられたらいいな」と、憧れというよりは漫画それ自体の良さの話です。

未だになりたいと思うのはなぎら健壱ぐらい。ぬるぬるやってるように見えるけど本気で、曲を聴けばほろ苦いしちょっと笑える。30年後にこの味わいが出てれば人生良さそうだな、と思います。